*民絵屋にようこそ*
綺麗な額に入れてお届けします。
※ 予約数の関係上、現在お届けまでに6カ月ほどのお時間をいただいております。※
大天使がほんとうに直接、私を守護してくれているのかどうかなんて分かりません。
もしかしたら、ほんのりと細く細くなってしまった光が私に届いているに過ぎないのかもしれませんし、
あるいは、天使に縁の深い人たちをみな、大天使が護り愛し続けているものなのかもしれません。
あの日、天使の大家と言われるドリーン・バーチュの本を読み、好奇心から本に書かれてあるとおりに尋ねてみました。
「私の守護天使は、誰ですか?」
と。
すると、閉じた瞼の裏に『ミカエル』と文字が浮かび、聴こえないはずの声が私の耳の奥に届いたような感覚になりました。
私は雪の降る月曜日に生まれました。
白い百合の花を携えた大天使ガブリエルは月曜日生まれの人々を守護する、とどこかで目にして以来、きっと私はガブリエルに守護してもらっているのね、と安易に薄っぺらく思っていました。
でも、私を守護し続けてくれていたのは、ミカエルだったのか……。
それは、少しばかり複雑な気持ちでした。
強いミカエルは、守護する者にも試練を与える存在だと耳にしていたからです。
けれどもやはり心強く感じました。守護天使がミカエルであるということに。
それから私は、聴こえるはずのないミカエルの声を、時々頭の中にわずかに広がる波紋をなぞるかのように、拾うようになりました。
それは、ただの妄想かもしれない。
そんな己に対する疑念は常にありました。
大天使と頭の中で会話しているなんて、それこそ頭がおかしいと言われても否定できないことです。
けれども、ふとミカエルのことを想い、私の目にじわりと涙がにじむことがあるのです。
まるで胸に白い花が咲いたような、想い。
それは、私がミカエルに心を向けたことで、黒雲がたくさんかかった私の心に、ミカエルからの愛が少しだけ届いた瞬間なのだろう、と私には思えるのです。
だから、私はその自分の感覚を信じることにしました。
私は、自分がミカエルに護られ愛されている多くの人々のうちの1人なのだろうと、信じることにしたのです。
それでも、
天使の絵を描くことになったのはミカエルの導きであると、私の半分は素直に思い、もう半分は「そんなこと、私の思い込みだ。」とたびたび否定しようとしていました。
私のすべてで素直に受け入れるには半分の私が少しばかり疑り深かったのです。
大天使の導きと守護で「天使の絵」を描いているということを、私のすべてで素直に受け入れてしまうことは、自分が何も考えずに浮かれた人間のように思えてしまう私もいたのです。
地から足が浮き上がってしまったら、馬鹿な私はすぐにどこかに飛んで行ってしまうと、低い声で繰り返し囁いていたのです。私の半分は。
さらに、
もしも私がもっとビビッドな色彩でミカエルを観ることができたら、
もしも私がもっとその声の響きをあますところなく拾うことができたら、
モノゴトはもっと分かりやすく簡単なのに、と思うこともあります。
けれども私が「選ばれし人」ではなく「ただの人」であることにも意味があるのかもしれません。
ミカエルはいつもいつも私に伝えてきます。
「過不足はないのだよ。」
と。
もっともっと絵の才能のある人に描かせればいいのに、
うんとうんと強力なサイキッカーにリーディングさせればいいのに、
なぜ、すべてにおいて中途半場な「ただの人」の私に描かせているの?と尋ねる私に、ミカエルは優しく伝えてくるのです。
「ただの人」である私が描いた天使の絵に涙を流してくれたお客様が何人もいらっしゃいました。
絵との不思議なシンクロを教えてくださった方や、ご自分の心のありようを伝えてくださる方もたくさんいらっしゃいました。
才能や能力といった恩恵はとても分かりやすく人を惹きつけます。
けれど、そうではない「ただの人」であっても、守護存在に心を向けることによって守護存在と一緒になって、誰かの心に届く何かを生み出すことができるのだ、と思わずにはいられなくなりました。
この絵を描いた私が素晴らしい、だなんて傲慢さは、「ただの人」であれば持つ余地は無いのです。
足りないと思うこともほんとうは恩恵なのだとすれば、たしかにミカエルの伝えるように「過不足はない」のでしょう。
こんな「ただの人」が描く天使の絵ですが、
もしも貴方のための絵を描くことができるのなら、幸いです。